映画鑑賞

あの海を越えて|47人を救った8人の住民と“つながり続ける命”の物語

2013年10月3日。
地中海に浮かぶランペドゥーザ島で、8人の住民たちが夜の海に出ていった。いつもと何も変わらない。そう思っていた。
けれど、そこからすべてが変わった──この映画は、その“あの日”を中心に、救った側と救われた側の10年以上にわたる物語を追ったドキュメンタリー。

観ていてずっと胸がぎゅっと締めつけられるような感覚があった。
それでも目をそらせなかった。
「命を救う」という言葉の裏側にある、恐怖や葛藤、そして誰かの判断だけで消えてしまった命の重さ。
観終わってからもずっと頭から離れない。


あらすじ

舞台はイタリアの小さな島・ランペドゥーザ。
インタビュー形式で映画は進み、当時の住民たちの暮らしや島の魅力、そして“あの夜”が語られていく。

ガマル号(定員9名)に乗り、タバッカラの入り江へ向かっていた8人。
しかし、奇妙なことが次々と起こる。
奇妙な青い光、妙な音、近づいていくと黒い頭が海にポツポツと浮かび、次々と助けを求める声が響き始めた。
その数は200人以上。

港湾局に連絡しても来ない。
巡視船が来ても「救助した人を乗せてほしい」と頼んでも「NO(条約違反になる)」の返答。
恐怖と葛藤の中、乗組員たちは必死に人々をボートへ引き上げる。

最終的に救われたのは47人(男性46・女性1)。
しかし 368人が犠牲となった。
多くはエリトリア出身で、国境戦争と過酷な兵役から逃れるため、泳ぎ方も知らず海を渡るしかなかった。

その出来事のあと、しばらく海に出られなかった。
トラウマは深く、波が立つたびに誰かの助ける声が聞こえるような感覚に襲われたという。
最後にはガマル号を手放す決断をした。

けれど年月がたち、救われた人たちが島に帰ってきてくれるようになった。
生還した男性は言う——
「助けられた瞬間に、自分は生まれ変わった」
そして彼らは島を“ふるさと”のように感じ、救助した人たちをほんとうの“家族”のように慕ってくれた。
住民と救助した人たちの間にはたしかな絆と本当の愛があった。


観て感じた “ポイント”

① 命の現場はキレイごとじゃない

船の定員9名。200人以上の助けを求める人。
助けたい気持ちと、自分たちも沈むかもしれない恐怖。
引き上げているときの、人にしがみつかれ海へ戻されるかもしれない感覚。
そして、引き上げているときにも他の人から感じる、海に取り残される恐怖。
そのリアルが痛いほど伝わってきた。

② 「制度の判断」が命の明暗を分けるという事実

巡視船の「NO」
そして軍の「救助は明日にしよう」
たったそれだけで救えた命が失われたかもしれない。
“誰かの都合”で命が失われる残酷さに、胸が痛んだ。

③ 根源的な問いかけ

観ている間ずっと心の中で響いていた。
なぜ身勝手な判断で、救えたはずの命が奪われなければならなかったのか。
当事者から発せられたリアルな問いだからこそ、深い重みを感じた。


感想

胸が痛いとか辛いとか、そういう言葉だけでは表現できない、いろいろ考えさせられた映画だった。
「こんなことが本当に起きたのか」と現実を受け止めるのに時間がかかった。
救助した当事者も言っていた。”起こっていることがまるで映画のようだった”と。

だけど、暗い現実だけじゃなかった。
救われた人たちが島をふるさとだと言い、戻ってきて救助した住民たちを家族のように慕う姿はとても感動的だった。
印象的だった言葉がある。
救った彼が電話の途中、自分に電話を代わるとき、電話先の相手にこう言った。——”父に代わる”と。

人を助けるという行為はその瞬間だけじゃなく、
“その後の人生につながっていく”ということを教えてくれる映画だった。

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